イラクの日本人人質事件が無事に解放されホッとしたが、世間では「自己責任」という言葉が飛び交い、彼らを反日的分子だとか、公務執行妨害に当たると批判している自民党の議員も登場した。
一般人からも、「死ね」という嫌がらせ電話やファックスが届くらしい。
世間を敵に回してしまったという衝撃を受け女性の高遠さんは現在たちおなれない精神状態にいるという。
中曽根康弘元総理大臣や政治経済評論家の竹村健一氏が、信頼し一目置いている某宗教団体の教祖がいるらしいが、私はこの教祖の笑みをたたえた穏やかな瞳と落ち着いた風貌に人徳の深さを感じていた。
この教祖の書いた本を読むと、かなり強く過大な自己過信を持っているところがあり、私の感覚としては、自分の能力に絶大な自信を誇る人を、素直に尊敬できる気持にはなれないのだが、この教祖の思考は、すばやく冴えた切れ味があるのが心地よく、教祖のものの捕らえ方を、会報誌を通して知るのは楽しかった。
私は、宗教には入らないものの、この教祖と蜘蛛の糸程度のかかわりを維持して、ここの会報誌を数年取り寄せていた。
今月届いたここの会報誌の最初のページに、イラクでの日本人人質に関して、教祖の冷酷な暴言とも言える批判が書き記されていた。
高遠さんを、「女」と呼び彼女の姉弟を「女の愚弟」としるし、「恥を忘れた日本猿」とまで言い切っている。
文章の最初から最後まで教祖は、拘束された人達の解放のために自衛隊を退去するべきと主張した彼らの家族と民主党の菅党首や朝日・毎日新聞の見解、マスコミ報道に意見を一致させる日本人を猿知恵にも劣る思考で、日本人をお粗末だと嘆いている。
今回、この教祖の怒りの強烈さをこの文章から知った私は、教祖の嘆く気持もわかるが、どこの宗教家も持つ特有の不遜さと、正義の名の下に、人を厳しく批判していく事の出来る優越感が、この教祖にもある事を感じた。
わたしは、三人が拘束されたばかりの時の家族の会見に関しては、テレビでほんの最初の瞬間しか見なかったのだが、被害者の家族達が無言に席に着く時に、彼らから出ている雰囲気に気の荒っぽさと殺伐とした気性を感じ、彼らに対して同情心が湧かなかった。
それ以上はテレビを見る気になれずに台所の片付けをした私だった。
人は黙っていても、好感を持てる人や、気にもならない人、不快感を感じさせる人と
人格の持ち味があるものだが、彼らには、人の情をひきつけるようなものが足りなかったと思う。
彼らが世間からあきれられてしまったのは、家族達の傲慢さと自信、そして彼らの自分の信念に対しての絶対的な自信と他者に対しての配慮のなさだったのだと思う。
つまり、人は、自分に対して絶対的な自信を持っている人、他者に対して配慮の無い人を、好まないのである。
以前、イラクのストリートチルドレンの記事を見た事があるが、子供達が雨水の溜まったので顔を洗う生活をしていた。
それでも、ほんのちょっとの食料を野良犬に分けてあげていた。
自分だって寝る場所もなくて帰る家もないのに、ひもじくて一日一食やっとありついて、それを犬に分け与える子どもなのだから、この子どもが心底悪党になる前に、まだ心がきれいなうちに、なんとかしてあげたいって思う気持ちが、イラクで拘束された彼らには強くあったのだと思う。
助けるべき相手だって純粋に思ったのだ。
このような気持はテレビを見ている人で思う人も沢山いるはずだが、本当に実行に移す事の出来る人は滅多にいない。
彼らは、「ほっとけない、誰かがしないから自分がするんだ」って思ったのだろう。
正しい行為をしている、尊敬に値する行為をしているという事で、彼らも彼らの家族も
自分達が立派な正義の人間であって、国に迷惑をかけた事など思いも及ばなかったのだ。
自分達の存在を国家運営以上の価値があるとみなしていたのが、彼らの愚かさだったのだ。
きっと彼らは普段から、「いい事なんだから、正当な事なんだから、通って当たり前!!!」って思って生きて来たのだろう。
マトモなことだって通らないのが世の中で、悔しい思いや情けない思いでいる人は多い。
世の中は、正しいんだって押し通すだけでは通らないって事を、彼らは今までの人生の間に経験して来なかったのだろう。
普通の人はそれを知っていなくても、肌身で感じて、色々ガマンしたり悔しい気持ちを自分で咀嚼して辻褄を合わせて生きてるのだから、あの傲慢な家族の態度に、世間は敏感に拒否反応を示したのだと思う。
劣化ウラン弾の青年のことも、馬鹿じゃないか、自分が好きで行ったんだから死んでもいいんだって言ってのけた人もいる。
確かに、好き好んで行ったが、劣化ウラン弾の被害はもっと報道されるべきだと思うので、やっぱりあの青年の行為を全て否定できないとも思う。
簡単に、彼らを切り捨てる発言をすることのほうが、彼らの世間知らずな根性よりも恐ろしいと私は思う。
まして宗教家であるならば、愛と智恵を持って、万人に心のあるべき方向を示せる人であって欲しい。また、信者もそういう人を教祖として選んでもらいたい。
教祖が信者を育てるのではなくて、信者の価値観が教祖を育てる事も大いにあるのだから。
絶対に正しいと信じ行動し発言した3人の拘束された家族と同じように、沢山の弟子を抱えて尊敬されている教祖も自分の信念に絶対の正しさを信じて、諸刃の剣をむけている。
わたしも彼らを賢いとは思えないが、世間は愚かな人が多いのだから、宗教家ならばもっとあるべき方向に我々の心を導けないものだろうか。
教祖を信じる人の価値観まで同じ色に染めてしまうのが、宗教の怖さだ。
世間は、数の論理で、正義が決まるところがあるが、数の流れのままで善悪を考えてしまう日本人の感覚のほうこそ思考を操作されていて恐ろしい。
パウエルが、政府からの一方的な情報だけでなくて、命がけで戦地に行く報道陣がいて公平な情報を皆が知ることができるので、勇敢だって言ったそうだが、その程度なら共感できる。
日本政府が言う、「自己責任」という気持も納得できなくはない。
良いも悪いも、一概では言えないってのが本当だろう。
あの三人とその家族達は、今までの人生で、自分が数の論理で相手を批判してやり込めてきたのかもしれない。
今は立場が逆転して、自分が批判されることになって、参っているのだろうが、彼らだけの苦味ではなくて、我々にとっても良い勉強となって、今後の考えるきっかけとしていきたいと思う。
最後に、某協会は、某過激派とどういう関わりを持っているのかと占った。
天文 地沢臨 之卦 火地晋 本卦 雷水解
主爻 沢天夬 主爻 水天需
人文 水風井
地文 天風妬
「おそるべし!某協会!」
某協会は、某過激派の共犯者として、資金集めのために過激派に
誘拐させている出ています。
内心は悪をもち、外面は世間の信頼を得る対応をしているのというのです。
日本政府も莫大な身代金をはらっている事も易に示されました。
聖職者だと自分を名乗る自己アピール、それ自体が聖職者ではないといえるのですよね。
もし神様が姿を見せてくださったら、神様はご自身を『私は神です』とはおっしゃらないのではないかと思います。
「我は神なり!」と拳を振るい上げて興奮して何十回も叫ぶどこかの教祖もいるが、これを神に憑依されているため神の言葉だと言う。
神様が、それほど自己アピールしたいならば、その神様は虚しくて寂しくて心がうつろなのだろう、そんな態度は神様の品格を下げるから止めた方が良いと、私はおもう。
偽者と本物の神様を見分ける方法は、毅然とした透明感の在る光を感じる事である。
余談
今回は、私の体調不良をご心配くださり、思ってもいないほど沢山の方々からメールを頂きました。
一年以上お会いしていない方からも、一度だけ鑑定に来たお客様も「覚えていますか?」と
お顔の写真を添付したお見舞いメールまで頂きまして、皆さんが私のHPをご存知で見てくださっていた事も教えていただいて、とても嬉しかったです。
家族と一緒に送られてきた添付の写真を見ながら、
「おっ!かわいい子だね」と夫も喜び、子供も『お母さん、やさしい人が多くて良かったね』といって私と一緒に喜んでくれています。
今回体を悪くしたお陰で皆様の愛情にいっぱい触れる事が出来まして、とっても幸せでした。
優しい言葉をかけて頂き、私の眠っていた愛情が揺動かされる様な気持です。
皆様本当に有難うございます!
皆さまにも、幸せな元気な気がいっぱいみなぎって、皆さんの人生の開拓に心弾んで向かう事が出来ますようにと、心の底から願っております。
幸せでありますようにとお祈りしております。(合掌)