平常心之是道

占なって正しい答えや的確なアドバイスを易の神様がど

のように下さるか、それは占なうまで私にも判らない。

占なって届く答えの質は、自分の個性がかなり反映される。

数人の人が集まり、それぞれ同じ粘土をもらって同じお皿を作る

ことにした時、同じお皿のカッコを作ったつもりでも、出来上がった

作品には自分の個性が出る。

焼きあがったお皿を見て、あれは自分のお皿だとわかる。

こんな風に、自分の手が作り出す持ち味と言うのが、

作品と同じように易にもでる。

自然な天から届く気を自分の色に染めずに受け止める事、平常心を

心がける事が易を当てるには大切なのである。

「平常心之是道」は中根先生の父上である大島先生が、座右の銘にされて

いらっしゃったそうだ。

平常な日々ならば苦労なく平常心で居続ける事はできるだろうが、

人間社会、どこに居ても誰と関わっても、いつでも心が平常心を維持しつづける事

はむずかしい。

どんな状況にあっても、易に向かう時平常心を持つ、これはなかなか難しい事らしい。

さらに、占なった後、これは真剣に天が教えて下さったと感じる時と、

適当に軽く答えていると感じる時がある。

質問者の相談内容と、質問者の心構えが易の神様の心

の向かわせ方を左右する事をとても感じる。

一般的にも、我々がたわいない事を人から聞かれた場合、そのたわいない

と思える相談を真剣に受け止めることはない。

軽く聞き流すのと同じように、神様からご覧になっても、どうでもいいと

思えるような質問だと答えのほうも軽くなる。