私が易にかかわるようになって約35年経つ。
子供の頃から易に興味を持ち、世間に出回っている易占いを、
本物の易と信じて占っていた私だったが、それは易の略筮と
いうものだった。
世間に出ている易は、ほとんどが略筮だから仕方がないともいえる。
高校生の頃、わたしは試験の運勢とか買い物に出かける運勢など、
毎日のように易を建てて統計をとっていた。
統計的に集まった占いの結果を見て、この答え(卦)の場合は
「良い」か「悪い」等が分類できた。
天水訟の3爻などという易の卦がでれば、テストも買い物で
得られる品物も最低だった。
悪いと出た運勢には凶といえる結果が集まり、易の卦と結果が
一致し、易は略式でも結果の良し悪しは当たった。
易の建て方さえわかれば答えは、易経の本に吉か凶か書かれて
あるので安直に占うことができるのが略筮方法の良さである。
当時の私は、易がそれ以上の読み方ができるとは知らないので、
当然それ以上の研究心も起きなかった。
私は占いが好きで、占い師の評判を聞けば占ってもらいに
積極的に出向いた。わたしが略筮の易占いをはじめて10年後に、
よく当たる易者が居るという噂を聞き、早速訪ねたことが、わたしの
運命を変えた。その時に私の師となる人・中根光龍先生に出会ったのである。
先生の占いの答えは吉凶判断を超える答え方で、私の職場の
状況から関わっている人物の人格までズバリと指摘された。
それまで、私が易だと信じて占ってきたものは易経にでている
古代中国でなされていた易を誰にでも簡単にできるように後代
になってから簡略して直されたものだということが判った。簡略で
あれば当然出る答えも簡単なことしか見えない。
古代中国で易を使って世を治めていた頃の易は、18回の陰陽を出す
と古書に記されている。
しかし、この18回も時間をかけることが大変なこと、さらに複雑になり
すぎて判断がしづらくなることから、人は難しいものを避け、6回の
陰陽を出すことで安易に答えが求められる略式の方法を世間では選んだ。
人に何か伝えるときに、6語で伝えるのと、18語で伝えるのと
どちらのほうが、判り易く伝えることが出来るかは、説明するまでもないと思う。
五七五の俳句でも17字ある。
「古池やかわず飛び込む水の音」は、有名な芭蕉の句である。
この状況を6字の表現は無理だ。
6つの言葉よりも、18の言葉のほうが詳しく状況や花鳥風月や
喜怒哀楽を語れるように、18変筮方法の古代の易が、略した
ものよりも出る答えが詳しいのは、子供でもわかるところである。
事の運勢が良いかどうかの結果の答えだけでなく、現在の状況
に至った原因から相手の対応、こちらの対応なども示されれば、
どういう理由から現在の状況になったのかが見える。